京都市 中古マンションのために必要なものとは?
「治療上で万策が尽きてダメなら仕方がないでしょうが、娘さんの場合、いろいろ手はあります。
もし治療をはじめるなら早いほうがいい。
患者さんをすぐ連れて来てください」
治療開始は三日後の十二月二十四日と決まった。
二十三歳のクリスマスーイブの夜、彼女は、命を救ってくれるサンタのプレゼント″を手に入れた。
その五日目に、私は彼女を病室に訪ねた。
が、抗がん剤の点滴治療を受ける人との長話は気がひけた。
潮時を見計らって帰り際、「もう一度会える?」と聞くと、彼女は明るい笑顔を浮かべた。
「もし、この治療で体調がよくなったら年明けには東京で仕事をしています」
原宿のカフェテラスで、ひと月ぶりにMさんと再会したのは、翌年二月初めのよく晴れたある日のことだ。
完全な″ノーメイク″だった病室の顔とは違い、ドレスアップしたMさんは、長い髪にベージュ色のルージュと薄く青いアイシャドー。
わずか1ヵ月程度の時間差なのに、目の前にいる本人はみごとに変身した素敵な二十三歳だ。
先の百二十時間連続の抗がん剤治療が功を奏し、再発がんは小さくなったという。
「お薬が効いて体調が少し戻った感じです。
これからも定期的に通院しなきやいけないけれど、それ以外はごく普通の暮らしをしていいんです。
じつぱ昨日の夜もね、会社の友達と飲みに行っちやいました(笑)」
もっとも、おなかのがんは消えたわけでぱないからいつ暴れだすかわからない。
それを考えると気分が落ちこみ、軽いうつ気分になる夜もある。
だが先のことはだれにもわからないし、クヨクヨ心配して二十代の「いま」を過ごすのはバカバカしい。
結果が同じなら、あっけらかんと笑いながら生きていたい。
「よくテレビで、『私は病気でこんなつらい思いをしました』つて涙ながらに語る番組があるじやないですか。
あれを見て、もらい泣きしながら〈私も出ようかな、みんな泣いてくれるかなア〉つて(笑)。
うちの母なんか根が心配性の人だから、私のことを『ノーテンキな娘だ』つてプリプリ怒るんです……」
可哀相ながん患者であるよりも、溌刺として生きる「普通の二十三歳」でいたい。
その表情から、Mさんのしなやかな心が感じられた。
がん告知以後、前向きの心で闘病した人は、他の人と比べて大幅に生存率が高いという医学的データがある。
こちらは八五年、イギリスのK・ブティンガル医師が「乳がん患者の心の状態と予後」という論文を医学雑誌『ランセット』に発表したのが最初だった。
同論文によると、十年目の生存串で、がんを受け入れて前向きに対応した人は八〇パーセントが生存したものの、がんを否認した人は五〇パーセント、冷静に受容した人は三三パーセント、絶望感を待った人は二〇八‐‐セントしか生存できなかった。
言い換えれば、「手術後の生きる姿勢が前向きなタイプが、最も経過がよく生存率が高い結果となる」(伊丹仁朗著『図解生きがい療法』産能大学出版部刊より)ということだ。
その後、同様の患者データが数多く発表されたこともあり、がん患者の心を重視する立
場から、欧米では「精神腫瘍学「サイコオンコロジ士」という研究分野が確立されることとなった。
七十一歳になるKさんは、その生き証人のような人だ。
乳がんとともに生きて二十三年目。
愛称が「不死身のおけいさん」だ。
四十九歳のときに右乳房全摘出手術を受けて以来、五十二歳で子宮がんの疑い、六十二歳で乳がんが再発して転移性肝がんの手術。
九八年、六十七歳で多発性骨転移と幾多の試練を乗り越えた。
早くに離婚を経験し、市立保育園の保母となって働き二人の息子が結婚してホッと一息ついた直後の八〇年五月、乳がん発病。
手術の後遺症のため右腕には力が入らず、一年半後、保育園を退職。
がん手術後の最初の十年間はつらい思いをしたそうだが、ちょうど闘病五年目、生涯の主治医となる伊丹仁朗医師の生きがい療法と出会う。
生きがい療法とは、がん患者の抱く病気に対する不安、死の恐怖への上手な対処法を知るため、同医師が考案した学習プログラムである。
このプログラムは、ユーモアや笑いをがん治療法の一つとして取り入れる。
「笑い」は人間の心を前向きにするのである。
九八年春、京都市内にあるルイーパストウール医学研究センターを訪ねた私は、がんの生きがい療法をはじめて知った。
伊丹医師を囲み、「ワッハハハ」、「アハハハ」、「ハハハ」と大笑いする。
総勢約三十人の顔ぶれは、胃がんの手術で胃を失った六十代の主婦、一年前に肺がんとわかった五十代後半の公務員、三十一歳で子宮がんを体験した三十九歳の独身女性。
そんな笑いの輪の中心にいたのが「不死身のおけいさん」だ。
伊丹医師が、笑いの科学的効果を私に教えてくれた。
「笑いは、体内にあるNK「ナチュラルーキラ士細胞のパワーを活性化し、がんに対する抵抗力さえ高めるんです」
当時六十七歳のKさんは、再発がんによる多発性骨転移の治療のため、京都大学病院放射線科病棟一〇二号室に入院中であった。
その病室から車いすで外出し、生きがい療法の集まりに参加していたのだ。
同じ九八年の秋、容体が悪化して「もって三ヵ月」と言われたのに奇跡的に快復した。
Kさんは明るく語る。
「自分の頭を百八十度転換し、できるかぎり笑って過ごしてみたら、がんの心配は次第に消えて前向きな人生へと変われたんです」
進行大腸がんのT氏。
都内の病院で、この男性と顔を合わせたのは二〇〇二年の一月のことだ。
T氏は五十五歳だった。
「おかげさまで。
五年生存率ゼロパーセント”への挑戦は昨年で終了です。
今年は新目標に向かいます!・」
気負ったふうでもなく、そう語るT氏の顔は明るかった。
四十歳過ぎまでは順調なサラリーマン人生だったという。
しかし、「男の厄年」とはよく言ったもので、T氏は、四十二歳の誕生日前日(八八年春)に、心筋梗塞の発作で突然倒れた。
「私の性格は、典型的なA型タイプです。
せっかちで負けず嫌い。
几帳面に仕事をしなければ気がすまない。
誰かに追い越されると、負けずにまた追い越そうと頑張ってしまう。
心臓の発作で倒れたのは、ストレス過多が第一の原因だったんです」
このときは都内の大学病院で心臓病の治療を受け、ことなきを得たのだった。
ところが五十歳の坂を越えたばかりの九六年十二月、職場検診の結果、今度は直腸と下行結腸の二ヵ所にがんが発見された。
「私は、キャンサー(がん)ですね」
患者本人がそう訊ねると、四十年配の外科医は「そうです」と答えた。
問題の大腸がんは肝臓と肺に転移が見られ、発見時点でステージWの進行がん。
この先五年を生きるのは無理だろう、だが最後まであきらめずに病気と闘うぞ。
T氏はそう決意した。
同年暮れ、初回手術では直腸と下行結腸の病巣を切り取って人工肛門造設、肝臓の部分切除。
ニカ月後、二回目の手術では左肺の転移病巣にも鋭いメスが入った。
そして九七年春、T氏はメスの傷跡もまだ生々しい身体で会社勤めに復帰したのだった。
T氏の元勤務先は「越中富山のクスリ屋さん」だ。
この職業的な経験と知識が働いたゆえか、がん発病後は、「T流がん克服健康法」を彼なりに工夫したのだ。
「いや、まったくの自己流ですが」
とT氏はがん克服の暮らし方を語った。
それは、最新がん治療と独白のがん克服健康法だ。
後者の狙いは、食生活の改善とライフスタイルの改善をペースに腸の環境を整えることである。
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